無への回帰

無への回帰

解説

老子を読み進めていると「帰」「反」「復」などと言った文字が何度か出てくる。どうやら道は必ず返る動作を起こすようだ。人もまた道に従うならば返るのが自然だろう。ここでは返ることに触れた章の要点をまとめた。

・成功したら長居しないで去る(第二章
・成功したら退くのが天の道(第九章
・名付けようのない物は物ではないところに返る(第十四章
・盛んに伸びている物は根に帰り命に返る(第十六章
・道は大だから遠くに行って返ってくる(第二十五章
・物は無欲な小さい人のところに結集してくる(第三十四章
・道の動きは返る(第四十章
・道徳を知り小に復帰すれば安泰(第五十二章
・無為で原始に帰って自然と生きる(第六十四章
・玄徳は物と返った後順番通りになる(第六十五章

この中で第十四章だけは本テーマとは関係ないようだが、あとはだいたい同じようなことを言っているとしていいだろう。

まずは第二十五章第四十章。道の動きを円運動としたもの。円の周囲を進むことを考えるとき、開始点から対極の位置までいけば、その後は進むほどスタートに戻ることになる。だから遠くまで行けば返る。第四十章第二十五章の補強。

第十六章では、道を植物にたとえて返る動きを説明している。植物は生い茂って実が成った後は種に返る。

第三十四章では、聖人の生き方で返る動きを説明している。人は無欲な小さい人を慕って返ってくる。その結果、第六十五章のように治安が回復して順番が戻る。だから、第五十二章のように小さく生きて、第六十四章のように返って平和にしようという流れだ。

よって、第二章第九章のように成功したら引退するのが自然なんである。

そこで第二十五章に話しが戻る。道のように「返ってくる大」とは、円運動する天体、緑を循環させる大地、歴史を循環させる聖人なんである。これらが世界を代表する無への回帰者なのだね。

余談だが、第三十二章の「小」は第三十四章の「大」になる前の「小」なのだ。