農民と非人

与えられた土地を耕して手入れをして収穫するのが農民で、それ以外を非人と分けたのが身分制度の始まりでした。つまり、非人はもともと差別の対象ではなかったのです。なぜそう言えるか?

農業は特別な才能を持たなくても根気さえ続けば、天災にでも見舞われない限り確実に収穫できます(食っていけます)が、収穫できる量はほとんど決まっているので、一枚あたりの田んぼは養える人数も決まっています。これは農業の技術革新がない限り、今後10年あるいは数十年、増収の見込みがないことを意味します。大量生産、大量消費の工業社会とは異なって、とても緩やかな成長を続けるのが農業です。となると、自分の老後までの人生計画が比較的正確に逆算できることになります。

現代でも自分たちの収入に合わせて家族計画をしますが、昔だって同じように、家族計画はしました。しかし、現代のように、医療や衛生環境が整っていないので、計画通りにはいきません。特に乳幼児の致死率は非常に高かったのでとりあえず産んでみて育てます(というか避妊技術もないし、安全な中絶もできないので、それしか方法がない) 。農家にとって最も恐ろしい事は、跡取りが絶えることです。当たり前のことですが、この時代に老齢年金も介護保険制度もありません。跡取りがいなければ、年老いた親の世話をしてくれる人はいないですし、財産も召し上げられてしまいます。財産に余裕がある限り、多めに育てておいて損はありません。

ただし、家が所有する田んぼから収穫できる米はほぼ一定なので、家を拡張することはできません。つまり、家族の人数が常に同じになるように、現状維持を続けていかなければなりません。二人の子供をもうけ、一人を跡取りにして嫁を迎え、もう一人を他所の家にやれば、現状維持は可能です。これで跡取りに孫が生まれ、次の世代の目処がつけば一安心。この辺で寿命が来るのが理想的な人生でしょう。

これは皮算用なので、実際の人生をこの通りに乗り切るのは難しいです。人の生死を人間がコントロールすることは不可能ですから、うっかり作りすぎてしまったり、不慮の事故で亡くしてしまったり、様々なリスクがつきまといます。特に危険なのがギリギリの人数しか用意していないのに、突然亡くなってしまうことです。そこから慌てて子作りしても20年のギャップは埋まりません。足りないよりは余った方がいいので、可能な限り多めに子供を残します。

このように親は保険をかけて多めに子供を育てますが、それが子供にとっての幸せとは限りません。家を現状維持で保つための二人の子供までは農村で暮らしていけますが、三人目の子供からは農村では生きて行くことができません。なぜなら、彼らが所帯を持って子供を養うと、確実に人口が増加してしまうので、家の所得(一定の面積の田んぼから収穫できる米)だけでは生計を維持していけなくなるからです。

こうやって余ってしまった子供は運良く農村にとどまることができても結婚は許されず、兄の家で一生下働き(冷や飯ぐらいの三男坊? )することになります。それすら叶わない、あるいはそれを許容できない者は村を出ることになります。こういう不幸なはみ出し者は、世の中が急速に発展した時ほど多く生み出されます。親の世代は多くの余剰を生み出しても、それが次世代まで続くわけではないからです。皮肉なことに、社会は安定するほど不安定になるのです。

田んぼで農業をしない者は非人である。彼らは卑しい身分である。

このように蔑視しされる時代はあったかもしれないですが、被差別民とは悪くも卑しくもなく、ただ農村からこぼれてしまった人となります。

こうやって村を出された若者が、何の後ろ盾のないまま街に出ても、そこは冷たい実力社会ですから激しい競争にさらされます。
こうやって行き場を失った人たちが命をかけて競争するのが都市です。命がかかっているのですから、都市が生み出す文化が華やかなのは当然でしょう。そこでしたたかに生き残っている人たちが魅力的であるのも当然でしょう。この花の蜜に吸い寄せられて農村を捨てて都会に出る若者もいたことでしょう。こうやって甘い匂いで人を集めて競争させて淘汰させるのが都市です。

身勝手な理屈で人を捨ててしまうのが農村の恐ろしさで、容赦なくふるいにかけて人を淘汰するのが都会の恐ろしさ、と言うことになるでしょうか。

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