果たしてねえや(15)は本当に嫁に行ったのか?

先日、匿名diaryで「15でねえやは嫁に行き」が話題になっていましたね。あまりにも周回遅れですが、僕もついていきたいと思います。

歴史人口学で見た日本 (文春新書)

歴史人口学で見た日本 (文春新書)

人口から読む日本の歴史 (講談社学術文庫)

人口から読む日本の歴史 (講談社学術文庫)

上記の研究によりますと、江戸時代の農民の初婚年齢は意外なことに二十三歳くらい。初産年齢は二十四歳くらいだそうです。

よかった、 十五歳で嫁に行ったねえやはいなかったんだ。

と、考えるのは早計です。これは西日本の平野に限ったデータで、結婚年齢は地域によって差があります。特に顕著なのが東北地方太平洋側で、この地域は早ければ十六歳、遅くても十九歳くらいで結婚しました。

なぜこの地域は結婚年齢が早かったと申しますと「出産のチャンス少しでも増やすため」です。江戸時代の東北地方、中でも太平洋側は気候が稲作に適しておらず、人々の暮らしは本当に大変でした。その辺の事情は日本残酷物語に詳しく書いてあります…と言いたいところですが、うろ覚えなので果たして本当にこの本に書いてあったのか、この内容が正しい認識なのかイマイチ自信はありません。

日本残酷物語1 (平凡社ライブラリー)

日本残酷物語1 (平凡社ライブラリー)

わずかな記憶を頼りに、当時の生活を書きますと、こんな感じでした。

貧しい家庭では子育てをする余裕がありません。せっかく子供を産んでも共働きのため、子供の世話もできません。母親が朝の授乳を済ませると、仕事のために畑に出かけたきり日が傾くまで家には帰ってきません。泣いても叫んでも放置プレイ。その間、家を這いまわると危険なので動けないように箱の中に入れてひもでぐるぐる巻きにしておきます。おむつを替える余裕はないので箱の中には灰と藁を敷き詰めてあります。原則垂れ流しです。三歳くらいまでは箱の中に入れられるので、歩けない三歳児も珍しくはありません。夕方に両親が帰ってきますが、まだ面倒を見てもらえません。日が暮れるまでに夕食を済ませなければならないからです。食事が終わるとやっと夜の授乳です。母親は昼間のハードワークのため、乳を子供の口に突っ込むと昏睡してしまいます。この間に必死に吸いつけない子供は衰弱して死ぬだけです。運が悪ければ、泥のように眠りコケた母親が覆い被さって、翌朝には窒息死ということもあります。

田んぼに子供連れて行けよ…と心の中で突っ込みまくりましたが、それができない事情があったのでしょう。本にはなんと書いてあったかな… 。こんな生活では何人産んでもまともに育ちませんよね。人口減らさないためには五人、六人と産む必要があったのです。そのために逆算していくと、どうしても十六歳で嫁に行かなければならないのです。

話を西日本に戻しまして、二十代前半で結婚・出産した女性はその後どういった人生を送ったのでしょうか。統計によりますと、女性の寿命は四十代前半で終わります。江戸時代には五十歳まで生きる女性は少数派だったようです。男性の寿命は五十歳程度。現代とは違って男性の方が長寿でした。医学的には女性の方が頑丈にできていることは、現代では広く知られていることなのに、女性の方が短命です。その理由は出産によるダメージと考えられています。平均すると女性は生涯のうちで四人の子供を育てます。江戸時代中期以降、日本の人口はほとんど横ばいで増減はありませんでしたから、これだけ産んで現状維持でした。出産ペースは4年に一度くらいだったので、四人産むには16年(何か計算を間違えている気がしないでもないが)、 二十四歳で初産を済ませても、ほとんど一生かけて子供を産むことになります。四十歳で「女子」なんてふざけんなって話です。

さて、ここで出てくる統計データの信憑性はどの程度あるのでしょう?このデータは国民の結婚や出産を調べるためにとったものではありません。つまり、このデータは現実を反映しているとは限らないのです。戸籍と国勢調査が本格的に行われたのは明治に入ってからです。このような国家全体のデータの価値が認められたのは、ごく最近のことです。律令時代に戸籍が作られましたが、膨大な費用がかかるため長続きはしませんでした。その後、何度か調査の号令がかかりましたが、かけ声だけで実現には至りませんでした。ではどうやって調べたか?キリシタン取締りに使われた書類を基に作成したのです。どの家の誰それがどの宗派を信仰しているか、一人一人を調べてお上に報告する義務があったのです。こうやって人々はキリシタンでないことを証明しました。現在は、家全体で一つの宗派に入ることが多いですが、当時は同じ家族でも人によって信仰する宗派はバラバラでしたから、必ず家族全員の宗派を書く必要がありました。当然、家族が増えたり減ったりすれば、書面に現れますので、このデータのつじつま合わせれば結婚と出産と死亡のタイミングが分かるのです。もちろん、この計測方法には弱点があります。目的はキリシタンの取り締まりなので、乳幼児のデータがありません。当時は乳幼児の死亡率が高かったので、彼らをデータに含めてしまうと調査コストが跳ね上がってしまいます。そこで、三歳あるいは五歳までは調査対象から除外する様になっていたのです。となると、死産だけではなく、間引きされたケースについては考慮できません。もしかしたら、でてきた数字より高い出産能力を持っていて、産んだ端から間引いていたとも考えられないわけではありません。確実な手がかりでないのがなんとも歯がゆいです。こういった大がかりな調査は今を生きる人たちには迷惑千万ですが、歴史的な資料としては大変価値の高いものであります。これまでは国勢調査にはうんざりさせられてきましたが、この研究を知ってからはきちんと協力しようと考えるようになりました。

歴史人口学の世界 (岩波現代文庫)

歴史人口学の世界 (岩波現代文庫)

ところで、僕がこの研究で気になるのは少女の好奇心です。妊娠可能な年齢と結婚年齢に開きがありますが、この期間をどうやって過ごしていたのでしょう。人間はできないことをやれと言われるよりも、できることをやるなと言われる方が辛いものです。妊娠能力が備わった少女達にどうやって純血を守らせるのでしょう。避妊技術のなかった時代です。肉体関係を持てば妊娠しないはずがありません。世間体を守るために書類上は母親が生んだことにしたのでしょうか… 。そうすれば、建前の上では体面を守れるかもしれませんが、サンプルが増えればおかしい点がでてくるはずです。

性の低年齢化が嘆かれて久しいですが、ロリコンどもはそれを正当化します。

昔は十七歳にもなれば大人として性行為をしたのだから、昔に戻っただけで低年齢化などしていない!女子高生に欲情するのはむしろ自然なことだ!

というのが彼らの理屈です。しかし、このデータが事実であれば、前提から間違っているといえます。この問題に納得いく答えが出ない限り、データを簡単には信じることができません。悪い頭を精一杯回転させて出したのは「妊娠すると高確率で死亡する恐怖によって抑えられていた」という推測です。出産はリスクの高い挑戦です。安全だと思われるようになったのはごく最近のことで、四十代のおっさんなら記憶にあるでしょうが、昭和のドラマでも出産シーンには「母子ともに健康」という台詞が必ず添えられていたものです。現代のドラマでは出産するのは当たり前で、男子か女子かについて言及するのが一般的ですね。時代は変わるものです… 。当然、江戸時代には安全な出産も中絶もありません。大人たちも出産に失敗してどんどん死にます。近所の大人たちの様子を見ればそれが脅しでないのは誰にだってわかります。いかに好きな相手であっても、命を落とす恐怖の壁を乗り越えるのは容易ではなかったのではないでしょうか。

この推測が本当なら、女性の健康を守るために避妊の知識が広められ、道具も手軽に使えるように発達しましたが、それがかえって性の低年齢化を進めるとは皮肉なものですね。

ところで話の起点となったねえやですが、本当にお嫁に行ったのでしょうか。幼い子には理解できない大人の事情をわかりやすく説明すると「嫁に行った」だったのではないでしょうか。八百万の神様の疲れを癒すためのお湯屋に行ったのでなければいいのですが… 。「ゆうやけ こやけ」だけに。