ジュリアスシーザー(シェイクスピア・ジュニア文学館 4)

これはジュリアスシーザーの物語ではない。繰り返す。これはジュリアスシーザーの物語ではない。

なんだよこれ… 。ガリア遠征の快進撃に夢を膨らませ、元老院とのルビコン川を挟んでの対峙に胸を膨らませ、クレオパトラとの濡れ場に下半身を膨らませていた俺の気持ちを返せ!!もう一度繰り返す。クレオパトラとの濡れ場に下半身を膨らませていた俺の気持ちを返せ!!

こんなタイトル詐欺、生まれて初めての経験だよ… 。例えるなら「今夜のおかずはトンカツだよ」と言われたのにでてきたものが湯豆腐だったくらいのレベルですわ。 「機動戦士ガンダム」というタイトルの映画を見に行ったら、ランバラルが木馬の打倒に執念を燃やす話だったくらいのレベルですわ。そりゃあ湯豆腐は湯豆腐で美味しいですよ!?ランバラルは男の中の男ですよ!?どちらも主役として不足はないんです。適切なタイトルさえ付けてくれれば。

ということで、この物語を予備知識なしで読もうとしている人は要注意です。この物語の主人公はジュリアスシーザーを殺害したブルータスです。カエサルは殺されるべき悪人として登場します。物語は殺される直前から始まるのでカエサルの活躍を期待しよう行けません。マジでクレオパトラは一mmも登場しません。

ちなみに、物語としては大変面白いです。ブルータスって割と裏切り者の印象が強いですが、この物語では誇り高き英雄として扱われてます。打倒するべき相手となるカエサルも根っからの悪人ではなく、お互いの理想が食い違っていたがために対立が起きたという解釈をしているようです。歴史上の英雄を扱うのですから、こういった配慮は好感が持てます。

それにしても暗殺物ってどうしてこんなに心惹かれるんでしょう。始皇帝暗殺を企てた荊軻張良あるいは順帝擁立のためにクーデターを起こした孫程などなど。妥協を許さない、決定的な価値観違いのぶつかり合いだからでしょうか?将軍として兵卒を指図しての戦いよりも、暗殺の方がよほど直接的で命がけだからかな。

物語のクライマックスはカエサル暗殺後の演説です。ブルータスはカエサル暗殺の正当性を知らしめるべく市民たちを集めて演説を行います。カエサルの後を狙うアントニウスは出遅れを取り戻すべく弔いの演説の機会を願い出てブルータスの非道をなじりにかかります。春秋戦国時代の中国でも倫理を踏みにじるライバルを「檄を飛ばす」ことで世論を動かして封殺しましたが、西洋でも似たような文化だったのですね。先に演説したのはブルータス。カエサルの偉大さを讃えつつも、共和制の理念は個人の才能を超えるものだと理性に訴えかけます。ローマ市民の誇りと伝統を前面に出すことで、王位を求めたカエサル殺害は「仕方なかったこと」を納得させます。劣勢に立たされたアントニウスはそれを上回る演説をしなければなりません。そこでアントニウスはブルータスのやり方を逆手に取って、ブルータスの偉大さを讃えつつも、カエサルの痛ましい亡骸を前面に出し、情に訴えて見事に聴衆の心をつかみます。理屈としてはブルータスに軍杯が上がるのですが、人間の情愛ではアントニウスに軍配が上がります。結局後出しジャンケンのようなもので、空気の流れはブルータスこそ狼藉者だという方向に傾きました。

このエピソードはシェイクスピアの創作くさいのですがどうでしょうか? 「人は理性よりも情を優先する愚かな一面を持つ」これは大変大きなテーマです。それを描きたくてこの題材を選んだといっても過言ではないでしょう。一瞬の快楽の為に人生を棒に振ってしまう人が途絶えたためしがありません。一時代の繁栄のために専制君主制を選んでしまうのも同じことです。歴史という長い目を通してみればこの判断は愚かなことが明らかです。しかし、その時代を生きる人たちにとっては、それではいけない理由があったのでしょう。
市民は煽動されたわけではなく、正しく共和制を理解していなかったのではないかな。彼らはカエサルが各国から引き抜いてきた地方の豪傑たち、つまりカエサルの息がかかった成り上がり者だったのではないでしょうか。伝統をを重んじる知識層は彼らが疎ましくてならなかったが、最終的には数と力によって競り負けたというのが正解な気がします。

蛇足

ハムレットがそれほど面白くなかったのは、やはり訓練の問題なんでしょう。比較的得意な分野であれば、これまでの知識と対比しやすいからか、びっくりするほどすんなりと頭に入ってきました。この調子であれば、他の物語も読んでいてもいいかもしれないですね。