専門用語
専門用語
解説
老子には独自の世界観があり、それを説明するために、たくさんの造語・専門用語がある。大抵は是謂や、是所謂で語られるが、各章に散らばっていたり、微妙に言い回しが違ったりと、初見では全容を掴みづらい。そこで、それらをここに集めてみた。
名
一:第十章と第二十二章では、一を抱けと命令している。その一とは何か。第四十二章では、道が生んだものが一。第三十九章では、王侯は一を得たから天下の行く末を問うことができるようになったとある。第二十五章では、王は四大の中の一つか。それぞれの関連性は薄いようだ。
徳:→徳について
玄徳:→徳について
常:「いつも」という意味以外に用語として使われることもある。第十六章では、命に復ることを常とし、第五十五章では、和を知ることを常としている。その後、どちらも常を知るのが明としている。また、第五十二章では、習常と出てきて、これを常を習うとするか、常に習うとするかで解釈が別れそうだが、これはおそらく後者だろう。
大:第二十五章では、道を適当な一文字にするなら大とあって、大であれば逝き、逝けば遠いとしてる。第三十四章では、いつも無欲なものを小、万物の帰る場所なのに主とならないものを大としている。また、第三十五章では、安平大とある。これは太の意味だろう。
小:第三十四章では、いつも無欲なものを小としている。第五十二章では、小を見るを明といっているが、この小を無欲としても意味は通りづらいので、ここは小さいとすべきだろう。第三十二章では、撲は小といえども〜とあるが、素朴で無欲となれば意味が通る。うがち過ぎだろうか。
反:
遠
復帰。キーは第二十八章。優劣両方を極めて、劣を忘れなければ、初心に帰れる。
優劣入り交じれば、第十四章のような捕らえ所のない存在になる。
似た言葉で反もある。
妙:第一章では、無欲でいれば見えてくるものとし、第二十七章では、善人を見習いながら、悪人もいつかは善人になれると信じて愛することが、妙の要としている。
希;第十四章では、聴こうとしても聞こえない音。第二十三章では、自然は希言。第四十一章では、大音は声希。
眞:
極:
静
式:手本。キーは第二十八章。清濁飲み込んで一方をひいきしないことで手本となる。それは道だけやってれば実現できると第二十二章にあり、第六十五章では、手本となるにはどうすればよいのかを考える。ずる賢く治めるがいいか、バカ正直がいいか。