良い創造、悪い創造、普通の創造

最高の創造は「何もできないほど何でもできるようにしておく」ことです。

何でもできるのに何もできないとは、どういうことでしょう。
例えば、水とか。
水は様々な用途に使える便利な物質です。飲むだけでなく、洗ったり涼しくしたり破壊したり、使い道に困るくらいです。だから、水を好きに使えと与えられても、満足いく行動を起こせる人はあんがい少ないでしょう。何でもできるからこそ、何をしていいかわからないってありがちですよね。
それくらいスケールの大きな創造ができれば、最高の創造ができたといえるでしょう。まぁ水は人類が創造したわけじゃないのでアレですが。
もうちょっと例を出すなら、PCにおけるOSとかどうでしょう。OSからは様々なアプリでも実行できるし、ファイルも出し入れできますが、ユーザから見ればOSが何か特別に役に立つわけじゃありません。ネットサービスで例を出すなら、ブログとかどうでしょう。何を書いたらいいかわからないほど自由なテーマで好きな限りの長文が書けます。
何もできないほど何でもできるようにしておく
大事なことなので二回言いましたよ。

次に良い創造は「できないことでできるようにしておく」ことです。

できないことでできるようにするとは、どういうことでしょう。
例えば、お題とか。
何でもいいから話せといったフリートークはやりづらいものですが、〇〇について話せといったテーマがあれば出てきやすいものです。汎用性が高すぎて使い道に困る「最高の創造」から、何かを制限することで利便をクローズアップさせるのが良い創造です。先程のブログを最高の創造とするならツイッターなんかはこれです。ツイッターは今という瞬間を140文字に制限することで、これまで何を書いていいかわからないとされてきたブログを発信しやすくしたわけです。
同じことは何度も繰り返しませんから、メモっといてください。

ポイントはここまでですが、こっから導きだすなら「悪い創造は、できないことをできるようにする」ことでしょうね。

最高の創造は、できないことをできるようにしたから受け入れられたんだろってツッコミは甘んじて受けます。おそらくは「最高の創造」を「良い創造」で限定したものを余計に拡張して台なしにしてしまうのが悪い創造なのでしょう。作り手にとって、できないことができるようになるのは最高の興奮です。しかし、それを得たくて抑えられないときに創造は失敗します。作り手は常に自分の創造が目指すものは「最高の創造」と「良い創造」のどちらなのかを意識している必要があるでしょう。もちろん一つのプロダクトに最高と最良が混じっててもいいです。
僕の予想としては大抵の創造は最良の創造でしょう。なぜなら、最高の創造はとても概念的なものだから、すぐにパクられて得することがないからです。ビジネスで創造する人は最高から最良を見出す練習をしておくのがいいかもしれませんです。

ここに書いてあることは自分で考えて出たものではなく、老子を読んで都合の良いように創造分野に引っぱっただけなので、興味のある方はこんなん読んでないで老子をどうぞ。

老子 (岩波文庫)

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