王様と爪

織田信長の小姓に森蘭丸という人がいます。か弱い美少年としてボーイズラブ的キャラで第一線級の活躍を続けてきた人ですから、ご存知の方も多いでしょう。今回はこの森蘭丸の話から入りたいと思います。

ある日、信長は小姓たちを集めて爪を切らせました。爪を切り終わった後、信長は小姓の1人に「爪を捨てて来い」と命令します。指示を受けた小姓は爪を捨てに行こうとしますが、信長は「待て」と言って止めます。また別の1人に同じように「捨てて来い」と命令しますが、これも「待て」と信長が止めるので小姓たちは訝しがります。その様子を見た信長は、次に蘭丸を指名し「捨てて来い」と言います。すると蘭丸は爪の数を数え「はて、9つしかありません。あと1つはどこへ行ったでしょう?」と言うと、信長は笑って袖を振ります。すると袖のシワから爪がポロリとこぼれ落ち、蘭丸は10本揃ったことを確認してから捨てに行きます。今度は信長が止める事はありませんでした。

実は中国の戦国時代に同じような逸話があります。

韓という国に昭侯という王様がいました。昭侯は身の回りの世話をする者に対して時々意地悪をします。
ある日昭侯は爪を切らせておりましたが、その際にこっそりと切り取った爪を1本だけ手中に握り締めて隠しました。そして爪を切り終わった後、こういうのです。

「爪の数を数えてみよ。」

すると爪の数は9本しかありません。当たり前です。昭侯が1本握りしめているのですから。そこで昭侯は、こう言います。

「 1本足りないではないか。どうして足りないのだ。」身の回りの世話をする者は慌てて探します。 「もし儂がその爪を踏んで怪我をしたら、お前はただではすまぬぞ!爪も満足に切れぬ奴はいらん!罷免するぞ。」と昭侯が脅すと、慌てふためいて真剣に探しますが、当然見つかりません。

昭侯はただ意地悪をしていただけではありません。人はこのように苦境に陥った時ほど、その人本来の人間性が出ます。
ある者はただただ平伏して謝り、またある者は諦めることなく探し続けます。その中には自分の爪をこっそり切り取って王の前に差し出し「足りない1つが出てきました」と言うものもいます。ここで昭侯は隠してあった爪を差し出し「お前は嘘をついた」などと野暮な事は言いません。心の中でペケをつけて、二度と重要な仕事を任せないのです。このように誠実な者、実直な者、自分の出世や保身のためなら嘘も平気で吐く者を判別したのです。

これだけではただの逸話で終わってしまうので、自分なりのほにゃららを書くことにします。

王様の仕事は組織づくりとその運営です。組織は王様の頭の中で練りあげることができますが、運営となると人選によって大きく結果が変わります。そこで王様は適材適所をするためにいろいろな手段で人を試すのです。戦国時代のように厳しい世の中で生き残るために必要な戦略といえば、有能な人材を起用するということです。しかし優秀な人材ほど野心が大きく、また嘘も多いのです。そのウソを見抜くのは容易ではありません。

織田信長を例にしましょう。
それまでの人事戦略は領地を安堵する。つまり終身雇用を約束することで忠誠を確保していました。保守的な大名は才能を犠牲にしてでも先祖代々が培ってきた信用=血縁による忠誠を確保したのです。
それに対して、信長が採用した人事評価は、実力主義成果主義でした。

実力主義とは、実力がある者がトップになるという意味です。つまり、家臣といえども主君より能力が高ければ、下克上してもいいのです。実力主義の世界では乗っ取る者が悪いのではなく、乗っ取られる方が悪いのです。ですから、実力主義を採用した信長は、常に高い裏切りのリスクを抱えていました。そこで信長は人を見抜くために様々な仕掛けを施したのです。

このようなテクニックを使ったのは何も信長だけではありません。遠い過去から優れた王様というのは本心がばれないように巧妙に家臣たちを欺いたのです。もし王様の本心が手に取るように家臣たちに分かってしまえば、たちどころに利用され、その立場を失ったことでしょう。優れた王様というのは本心を公の前で明かす事は絶対に無いのですね。

安心して安心して話す相手もいないというのは大変心苦しいものです。王様というのも決して楽な商売ではないです。