第十六章 萬物並び作るも、吾れは以て復るを観る。

原文

致虚極、守靜篤、萬物竝作、吾以觀復。夫物芸芸、各歸其根。
歸根曰靜、是謂復命。復命曰常、知常曰明。不知常、妄作凶。
知常容。容乃公、公乃王、王乃天、天乃道、道乃久。沒身不殆。

訓み下し文

(きょ)(いた)ること(きわ)まり、(せい)(まも)ること(あつ)ければ、萬物(ばんぶつ)(なら)(おこ)るも、()れは(もっ)(かえ)るを()る。()芸芸(うんうん)たる(もの)各々(おのおの)()(こん)()す。
(こん)(かえ)るを(せい)()い、(これ)(めい)(かえ)ると()う。(めい)(かえ)るを(じょう)()い、(じょう)()るを(めい)()い、(じょう)()らざれば、(もう)(おこ)して(きょう)なり。
(じょう)()れば(よう)なり。(よう)(すなわ)(こう)なり、(こう)(すなわ)(おう)なり、(おう)(すなわ)(てん)なり、(てん)(すなわ)(みち)なり、(みち)(すなわ)(ひさ)し。()()うるまで(あや)うからず。

解釈

まったく何もしないで静かにしていると、植物が生い茂り、元の姿に還っていくのが見える。どれだけ青々と生長しても、やがては種に帰る。
種に帰ることを静と言い、これを命に還るという。命の循環を常と言い、常を知っていることを明知と言う。常を知らないとでたらめを始めて悪いことがおきる。
常を知れば容でいられる。容は容器であり公共で共有でき、天下のための共有財産と言えば王であり、王は天につながっており、天は道につながり、道は不滅である。生涯に危険はないだろう。

備考

時節に逆らわず生きていくことの大切さを書いた章。解釈が原文の文字から逸脱しているが、わかりやすさを取って植物でたとえた。

忙しい毎日から離れて田舎で暮らしてのんびりすれば四季の変化がいやでもわかる。勉強に明け暮れるより、ボーっとしていた方が大切なことに気付いたりするものだ。第四十七章もそんな話だ。

それで、季節とともに植物が姿を変えていき、世代は必ず交代するものだとわかる。人間だってこの自然の循環に組み込まれ、逃げることはできない。
それでいながら人間はいつまでも若くありたいと望み、得た力を失った末の代替わりを拒否してしまう。社会の混乱はそういった欲から始まる。自分の老いを受け入れられることこそ、明知といえるのだろう。

最後の段は現代を生きる我々にはわかりにくい。この手の連想ゲーム的ロジックは第二十五章第三十九章にもある。おそらく世界には序列があって、その最高位である道に辿りつくためには、一つずつステップアップせねばならないということだろう。それにしても容→公→王はわかりにくい。公が臣下の位の最高位であることと「おおやけ」の二つの意味を合わせていることは想像つくのだが。

夫物芸芸、各歸其根。
どんな生物でも若いうちは元気で勢いがあるが、やがて根本的なところに帰る。「根」は死んで土に帰るとしても悪くはない。ここでは子供を作って人生の始まりに帰ることにしておいた。

歸根曰靜、是謂復命。
死んで土に帰るとするなら魂が天に帰るという意味になるだろう。「静」のイメージからは死のほうが近いか。子供も生まれる前の種の段階では「静」だろうから植物にたとえて種としておいた。

復命曰常、知常曰明。
復命は必ずやってくる日常的で当たり前のこと。根と静の意味がどちらであっても「当たり前の運命を受け入れることが賢い」となる。

沒身不殆
常を知れば危険はない。

ヒント


復命(ふくめい)

世代交代すること。嫌でも年老いて、若い者に譲らなければならない日がくること。
と言い換えられる。
無への回帰

芸芸(うんうん)

植物がさかんに生い茂っている様子。
芸は旧字では「藝」で「勢」に通じているんだとか。だから、芸は草がぐんぐん伸びる様子に近いんだろう。


(つね)

いつも。
専門用語

(きょ|むな-しい)

からっぽ。

(めい)

頭で考えることを超えた絶対的な視野。
明-浅はかな智慧と絶対的な智慧

(キョク)

頂点まで到達すること。極めること。
やりすぎ。
専門用語

熟語(4種/5回)

是謂 萬物 復命 芸芸

ルビ無版下し文(コピペ用)

虚に到ること極まり、静を守ること篤ければ、萬物並び作るも、吾れは以て復るを観る。夫の芸芸たる物、各々其の根に帰す。
根に帰るを静と曰い、是を命に復ると謂う。命に復るを常と曰い、常を知るを明と曰い、常を知らざれば、妄作して凶なり。
常を知れば容なり。容は乃ち公なり、公は乃ち王なり、王は乃ち天なり、天は乃ち道なり、道は乃ち久し。身を没うるまで殆うからず。