企業春秋

近頃ではグローバルに活躍できるプレイヤーがもてはやされているようで、英語に重点を置く企業が多いようです。記憶にある所では、楽天が社内公用語を英語にすると発表したり(いつの話だよ)、ソフトバンクTOEICで一定件数をクリアした場合にボーナスを100万円支払う制度を設けたりしているようです。どの社長も生き残りをかけてユニークな決断をしているようですね。民主主義が当然になった日本では王様などは絶滅した存在のように思えますが、社長というのは王様に近い存在なのではないでしょうか。

これまた例のごとく、中国古典を紐解きますが、やはり生き残り競争が厳しくなった時代にはユニークな制度が産まれています。


魏という国に李恢と言う長官がいました。魏は強国の秦ととなり合っていたため、李恢が赴任した城は治めるのが大変難しい土地でした。「戦に勝つには射撃の腕が重要だ」そう考えた李恢は、兵士となる庶民が効率よく弓術の技術を上達させる手段はないかを模索しました。そこで採用したのが「白黒つけがたく、裁判が長期化しそうな案件については、弓の当たり外れで勝敗をつける」という制度でした。この制度が施行されるや庶民たちはこぞって弓を練習しました。やがて秦が攻めてきましたが、射撃力が勝っている魏が勝利しました。

なんかうまいこと考えたこと考えたぽいですが裁判を弓で決着するなんて、ずいぶん強引な方法です。ここは理解に苦しむので少し補足しますと、「弓矢には魔力がこもっているので、時として天意が宿る」と考えるだけの説得力があったのです(たぶん)。この当時はまだまだ人間の力が及ばない「神秘」を信じて従う気持ちが残っていたのですね。

このほかにも、神秘によって判決を下す例はありました。羊の体を刃物で傷つけて暴れない羊を連れてきた方が勝訴すると言う裁き方です。心の清らかなものが連れてきた羊ならおとなしくしているはずだという理屈です。下のページにありますが詳しいやり方は『墨子』にあるようです。

http://www.hitsuzi.jp/news/2006/10/736sheep.html

私が聞いた伝承とは少し違うので『韓非子』にも孫引されているのかもしれません。 (たしか裁判を始める前に羊が暴れだし、連れてきたものを蹴飛ばして足を骨折させたので、もう裁判の必要すらない判決は出たようなものだろうという空気になって裁判すら開かれなかったという話だった)

やっぱり、訳わからんですね。ランダムに人生をかけるのは恐ろしいですが、ある意味平等なので負けたとしても納得するよりないのです。