水からの無言

科学の皮を被ったオカルトを教育の場に持ってくるのはおかしい

水からの伝言」という話が随分前に問題になりました。かなり騒がれたのでご存じの方も多いと思いますが、軽く内容に触れますと

コップに入った水に罵詈雑言を浴びせ掛けると腐ってしまうが、ありがとうと言い続けると水が結晶を結び、ありがとうと返してくれる。

といった感じです。こんなオカルトを誰が信じるんだよって話ですが、科学的リテラシーとか言うものを備えていない先生が話の美しさに惹かれて熱が入ったんでしょうね。おそらくそういう先生たちも内心は嘘だとうすうす気づいていたんでしょうが、こんな反発があるとは想像もしないまま導入して、突然外野から頭ごなしに「科学とは… XX… △ △ 」なんて言われて、引くに引けなくなったんでしょう。

科学に疎い大人は、これまでの人生で何度も科学を教えられて、それでも科学と仲良くなれなかったのです。そういう自覚がある人に対して「科学とはこれこれこういうことだから、あなたの言っていることは間違っている」と説明をしたところで「お前は馬鹿だ」と言っているようなものですから聞き入れてくれるはずはありません。



老子には「上善如水」という話があります。

http://d.hatena.ne.jp/yasushiito/20101008/1286463600

上善は水の若し。水は善く万物を利しても争わず。
衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。

どうして水が素晴らしいのか。その理由は、誰もが生きるために必要なものなのに、不平も言わず、分け隔てなく、黙って利用されていくからです。もし、水が相手の言葉や態度で対応を変えるのなら、人間は常に水に遠慮して生きなければなりません。

  • 夏の暑い昼下がりに喉が渇いて水を飲みたくなっても「君はまだ宿題が終わってないじゃないか。そんな子になんか飲まれたくない! 」なんて言われたら、誰だって嫌な気持ちになりますし、こんなことを毎日言われては水のことが嫌いになるでしょう。
  • トイレを済ませた後に水で流そうとしても「そんな汚いところに流されたら僕はよごれちゃうじゃないか。やめてくれよ。 」と言われたらレバーを引きにくいです。それでも水で流したら「お前が汚したものを流してやったんだからな。感謝しろよ。 」と恩を着せられてしまいます。
  • 「この国の偉い人は嘘ばっかりつくから嫌いだ」と言って雨が降って来なかったら、人は皆、水に嫌われないように生きていかなければなりません。

嘘をつかず、宿題もきちんとして、感謝の心を忘れない、それ自体は大変素敵な生き方ですが、水に見張られているからそれをするようではちっとも素敵ではありません。こんな窮屈な世界だったら、人は果たして水を素晴らしいと讃えるでしょうか?水は何も言わないからこそすばらしいのです。だから水はありがとうといっても喜びませんし、バカヤローと言っても怒りません。

水が素晴らしいのは、誰もが生きるために必要なものなのに、不平も言わず、分け隔てなく、黙って利用されていくからです。


私ですか?
行楽を予定していた日に雨が降ると「日ごろの行いが悪い」 「雨に祟られた」という程度には信心深いです。科学リテラシー?なにそれおいしいの?