白川静でDQNを理解する

人間が一皮剥けばチンパンジーである事は、注意深い人なら誰でも知っていると思います。人類は長い時間をかけて着実に進歩してきました。その中でも知性と理性で築き上げた文明は、人類に大きな発展をもたらしました。しかし、その高度な文明も人類の長い歴史から見ればせいぜい数千年、ほんの薄い皮1枚です。ささいなことで破れて古い時代の記憶がむき出しになります。世の中には好む好まざるにかかわらず、皮が破れて生を受けてしまった方々もいらっしゃいまして、彼らはこの現代であっても法律や理屈よりも、(直感的ではあるが)眉をひそめてしまうような野蛮な私刑を好む傾向にあります。

例えば、根性焼き、もう少し古い言い方だと「焼きを入れる」などもその一例です。根性焼きの歴史は意外と古く、3000年程度は遡れます。むしろ、当時ではこちらのほうが主流の考え方でした。なぜそれがわかるかといえば焼きを入れている絵が文字になっているのです。


「赦」という文字は、左側が「人+火」で右側は「ト+又(棒を持った手)」です。つまり、火のついた棒を人に押し当てている絵です。今で言う根性焼きですね。当時は、これをもって罪が赦されたということです。

未開の連中はまぁ残虐なこと!と安直に想像しがちですが、古代人は残酷と同時に優しくもあります。白川静が言うには、この行為は我々が嫌悪するような苦痛を与えることを目的とした刑罰ではなく、体についた悪霊を追い払うための処置なのです。この辺ちょっとうろ覚えなのでいまいち正確な情報ではありませんが、当時の人々は悪い奴だから犯罪をするのではなく、元は善人なのだが、たまたま悪霊が憑依して心が乗っ取られているうちにしでかしてしまった(今で言う魔が差す)と考えたのです。そこで悪霊がついた部分に火を押し当ててそれを体から追い出します。太古の時代はまだまだ人口が少なく生活も部族(血族)で暮らしていました。つまり、犯罪者といっても顔見知りどころか親戚なので腹いせに苦痛を与えたところで関係が悪化するだけで更生が期待できるわけは無いのです。ほかに直感的でメジャーな刑罰には顔に刺青をするなどがありますが、これも同様で、苦痛を与えたり、前科者を見分けるために施した訳ではないそうで、二度と悪霊が取りつかないように護りの呪文を体に直接描いたのだそうです。このように再犯しないような処置を施すことと引き替えに罪が赦されたのです。


あれ、古代人案外思慮深いぞ…

根性焼きの意味を調べてみると、ここで使われる意味とは微妙に異なってますね…