日本の原点

日本の原点といっても始まりはどこだよというツッコミはありますけれども、一応ここでは水田稲作が始まった弥生時代を日本の原点としたいと思います。

水田稲作を考えるとき、日本の原点は里山にあります。「日本の原点は里山にある」なんて言うと懐古厨うぜぇええええ言われるかもしれませんが、歴史のまとめなので、まぁいいとします。

水稲栽培には水が必要です。我々が想像する水田は平野一面に広がる大規模な田んぼですが、平野を利用した田んぼができるようになったのはせいぜい江戸時代くらいからだそうです。我々の感覚では「水なんて川から引いてくればいいじゃん」と考えがちですが、いちど川に落ちてしまった水を引き上げてくるのは簡単ではありません。川から水を引くことを考えると、上流にさかのぼって、そこからから用水路を引き回してこなければなりません。また、川の水は天候によって大きく水量が変化して、ときには暴れることもあるので、水量コントロールが難しいです。これらを考慮すると大規模な潅漑工事が必要なので、高度な土木技術が必要です。これがすべてできるようになったのが、やっと江戸時代に入ってから…ということらしいです。

土木技術が未発達な時代に水を手っ取り早く引くには、山の麓に住むのが1番です。山からのわき水を使えば比較的水流をコントロールしやすく、山の保水力によって水を安定供給できます。また、山からのわき水は、山の滋養を含んでいるので、肥料を使わずとも連作による収穫量の悪化を心配することもなく栽培できます。
このように、原始の稲作民は山に強く依存していました。彼らにとって、山は守り神なのです。その山の麓にある森を鎮守の森として神格化し、その山と裾野の平野との境界に神社を建て、神社を村の中心として、そこから平野に向かって集落と田んぼを作っていくのです。この構造が日本の典型的な里山です。私が住む街にも、これと同じ構造の村があるので、日本の至る所に見られるでしょう。

この話がどれほどの信頼性を備えているかは別にして、このような感じで、当時の人々の暮らしや技術レベルを押さえておくと、突拍子もない話を生み出してしまう恐れが減るのではないか、と思います。