儒教の世襲

儒教では、人生でもっとも大切なイベントをお葬式としています。最期の集大成ってやつですね。だから、どれだけ立派なお葬式を挙げてもらうかでその人の生前の評価が決まります。

まぁそういうことですから、残された遺族にとっても、どれだけ盛大な式を挙げるかが孝行息子として名を上げるチャンスになるわけですね。亡くなったお父様は立派な方だったはずですから、父を見送る参列者が少ないようでは様になりません。ですから、サクラを雇って大げさに泣いてもらったりするんですね。この辺のところは墨子を読めば、儒教徒が孝行心につけ込んでどれだけあくどい手口で商売をしていたかが分かります。儒教に入信すればこうやってイベントをコンサルティングしてくれて就職や出世の後押しをしてくれる。時代は下って戦国時代に入る頃には腐臭が漂い始め、そういうビジネスライクな側面も儒教にはありました。

まぁビジネスとして捉えるか、信仰として捉えるか、は別としてお葬式を上手に演出できるかが、世間の評判のバロメーターである事は間違いなかったようです。その要素の中でも最も重要な点は「喪」です。

儒教では父を亡くした時の喪の期間は3年と決まっています。この3年の間、息子は質素な白い服を一枚着るだけで、掘っ建て小屋に閉じこもり、食事は薄いおかゆだけを摂ると決められています。あまりにハードな修行なので喪が明ける頃には一人では満足に立ち上がれないほど痩せ細り、人に肩を借りてやっと歩けるほど衰弱します。

父の死を悼んでこれくらいできる人こそが跡取りにふさわしい。ましてや王位を継ぐ立場であれば、それくらいの人格者であってほしい。

そう、この儀式、元はと言えば王子が王位を継ぐための試験として始まったものです。基本的には長男から順番に後を継いでいきますが、この適性試験に合格しない限り、世論は即位を認めてくれません。もし長男が病弱あるいは軟弱だった場合。体力と気力を持たない者は、三年間の喪に耐えられません。心が弱くてだらしない者はこんな面倒な試練には挑戦したがりません。こうやって本気で王位を継承する意思を持たない者をふるいにかけるために、こんなに派手な喪があるわけです。

さて、儒教には「父が亡くなっても三年間は父のやり方を変えるな」と言う教えがあります。まあ喪中は政治のことは忘れて喪に集中して、国家の切り盛りは父の腹心たちに任せろといったところでしょうか。この辺、よくできてるなと感心します。新しく即位した王子の周りにはすでに彼の腹心がいます。彼らは王子が即位する将来性を見込んで人生をかけて注力しているので、王になった暁には相応のポストを要求します。もちろん王子も親政(自分の政治)がしたいので、自分の身の回りにいる人材を重要ポストにつけようとします。そんな時に親父が残した臣下が幅をきかせていると目障りで仕方ありません。しかし、彼らを無理に更迭しようとすると反乱を起こされたり、国ごと外国に売り渡されたり、手痛いしっぺ返しを喰らいます。なにしろ彼らは経験豊富な上、十分な人脈を持っています。彼らを上手に引退させないと、直ちに深刻な世代間闘争が始まり、国力を大いに落とすことになるでしょう。 3年という期間は緩やかに世代交代を行うための程良い冷却期間かと思われます。三年間の猶予を与えるので、身の振り方を考えておきなさい、といったところでしょうか。

権力関係の対立構造は、時代が変わっても変化することはありません。最高権力者がその権力を世襲させようとしている場合、王子の即位後三年間は大粛清が起きる畏れが非常に高いです。特に親父の在位期間が長く、彼の腹心に権力が集中していて、王子は若く、長男ではないケースは非常に不安定で危険な状態にあると考えられます。この条件にぴったり当てはまるのが北朝鮮なんですよね… 。