第五十五章 徳を含むことの厚きは、赤子に比す。
原文
含徳之厚、比於赤子。
蜂蠆虺蛇不螫、猛獣不據、攫鳥不搏。
骨弱筋柔而握固。未知牝牡之合而全作、精之至也。
終日號而不嗄、和之至也。
知和曰常、知常曰明。益生曰祥、心使氣曰強。
物壮則老、謂之不道。不道早已。
訓み下し文
徳を含むことの厚きは、赤子に比す。
蜂蠆虺蛇も螫さず、猛獣も拠わず、攫鳥も搏たず。
骨は弱く筋は柔かくても握りは固し。未だ牝牡の合を知らずも全くな作りは、精の至り也。
終日号びても嗄れざるは、和の至り也。
和を知るを常と曰い、常を知るを明と曰う。生を益すを祥と曰い、心、気を使うを強と曰う。
物は壮んなれば則ち老ゆ。是を不道と謂う。不道は早く已む。
解釈
徳が厚い人をたとえるなら、赤子だろう。
毒虫は刺さず、猛獣は襲ってこず、猛禽にも攫われない。
身体は発達していなくても、指はしっかり握れる。まだ性交を知らないながらも機能は万全だ。それらは、両親の精力の結果である。
昼夜問わず泣き叫んでも声が枯れないのは、両親の献身の結果である。
両親が赤子を献身的に世話することを知るのを常といい、これが当たり前に繰り返されることを知るのが明らかな知恵だ。生命を増やすことをめでたいことと言って、ここに心を使う気配りのある人を強いと言う。
人は強くなるほど頑固になる。これを不道と言って早死の要因だ。
備考
徳を備えるとはどんなことかを書いた章。
まぁ何とも違和感がある章ですな。文字の置き方も不規則で美しさに欠けるし。
弱い赤ちゃんが強いことを説明したいのだろうけど、さすがに猛獣に襲われない理屈がわからん。普通に襲われますから。いくら喩え話でも無理がある。
最終的には赤子が襲われないのではなく、そもそもそんな危険な場所には置かれないのだと解釈した。
役に立たないどころかうるさいだけの赤ん坊が、なぜか大切にされて世話を受ける。放ってはおけない愛らしさ、これこそが徳なんである。
その愛を受けるためには、誰よりも弱い姿でひたすら純真に泣くことが必要。泣くのって簡単に思えるが、人には意地があるから、たとえ窮地に陥っても簡単には泣けないんだよね。仮に泣くことを覚えたとしても、こういった人は打算で泣くようになってしまう。素直に泣くことも徳のうちなんだ。
このような涙を見て助けたいと思うのは当たり前のこと。この助け合いを和と言う。特に親が子を愛する行為はずっと繰り返されてきた。この当たり前のことが理解できていることを明知という。これは第十六章に出てくる命のリレーとも一致する。こういう小さな幸せが続くように心配りする人こそが本物の強者といえる。
なんか強引に辻褄を合わせた割には含蓄の深い話になったぞ。
勢いに乗ってもうちょい補足すると第二十八章に赤子の徳がある。赤子は世話をしてもらって知識を吸収しながら成長する。大人だって赤子のように至らなさを自覚して従順にしていれば急成長できるということだ。勉強はデキの悪い子ほど面倒みてもらえるし、従順さがない子は伸びにくい。だから、柔らかく弱くなれと言っている。
赤ちゃんが勃起するわけないが、性交を知らないけれど可能性は秘めているという意味には取れる。つまり、機能的な不全はない。そして、精力は充満している。
ここでは独自に解釈。精之至は和之至とあわせて両親の精としておいた。赤ん坊は精の行き着いた果てなんだから間違いではあるまい。
テーマ
ヒント
攫鳥(かくちょう)
鋭い鈎爪を持つ鳥。猛禽。
蜂蠆虺蛇(ほうたいきだ)
前から順番に、蜂・さそり・まむし・へび。
危険生物のこと。
螫(さ-す)
虫が針で刺す。
赦って字がついてるってことは、赤く後が残るほどの毒を刺し込むのかな。
據(よ-る)
拠の旧字。
足がかりとする。
搏(う-つ)
號(ごう)
ガオーっていう咆哮。
嗄(か-れる)
声がかれる。
文字(60種/81字)
道 常 之 物 而 謂 知 已 不 生 和 作 使 心 弱 強 骨 也 則 子 牝 於 氣 柔 明 徳 曰 未 精 全 終 日 老 早 祥 合 固 厚 益 至 含 比 赤 蜂 蠆 虺 蛇 螫 猛 獣 據 攫 鳥 搏 筋 握 牡 號 嗄 壮
ルビ無版下し文(コピペ用)
蜂蠆虺蛇も螫さず、猛獣も拠わず、攫鳥も搏たず。
骨は弱く筋は柔かくても握りは固し。未だ牝牡の合を知らずも全くな作りは、精の至り也。
終日号びても嗄れざるは、和の至り也。
和を知るを常と曰い、常を知るを明と曰う。生を益すを祥と曰い、心、気を使うを強と曰う。
物は壮んなれば則ち老ゆ。是を不道と謂う。不道は早く已む。