第四十三章 無有るは間無きに入る。

原文

天下之至柔、馳騁天下之至堅。無有入無間。
吾是以知、無爲之有益。
不言之教、無爲之益、天下希及之。

訓み下し文

天下(てんか)至柔(しじゅう)は、天下(てんか)至堅(しけん)馳騁(ちてい)す。()()るは(あいだ)()きに(はい)る。
(われ)(これ)(もっ)無為(むい)(えき)()るを()る。
不言(ふげん)(おし)え、無為(むい)(えき)天下(てんか)(これ)(およ)ぶもの(まれ)なり。

解釈

世界で一番柔らかいものは、世界で一番堅いものを思いどおりにできる。見えないほど細いものは隙間のないような場所にも入り込む。

私はこの発想から、何もしないことがうまくいくのだという結論にたどりついた。
言葉でうるさく教えないやり方は先ほどの無為の益であり、これに敵うものは世界に滅多にない。

備考

至柔は第七十八章にある水のこと。水は柔軟だからどこへでも染み込む。無の有用性は第十一章と合わせて読む。無と有の関係は第四十章を読む。

難しい章ではないので注釈することもないから、荘子に出てくる庖人(料理人)の話でもしておくか。
当時の料理人の仕事には牛の解体も含まれていた。牛の骨は太いので、力自慢が肉厚の包丁で切断するというような大仕事だった。力任せに切るために度々刃こぼれを起こす。それに負けないように包丁は次第に頑丈になっていく。
ところが丁という人の包丁は全く逆で、刃は薄く切っ先は尖っていた。その細い先端を間接のわずかな隙間に差し込んでゆっくり動かすことで小さな力でも骨や筋を切り離すことができたのだ。丁の発想は刃を厚く大きくするほど隙間に入れにくくなり仕事が難しくなるというものだった。
この庖人の丁から包丁という言葉が生まれた。

天下之至柔
柔らかさの頂点まで至った物。

馳騁天下之至堅
堅さの頂点まで至った物。馬のように人間より大きく力のある生き物を乗り回すのが馳騁。自分より堅くて強い相手を操縦するのが柔らかさ。

不言之教
言葉を発しない水からも教えられることはあるから注意深く観察せよとしてもいいが、ここは柔軟な対応についての話なので教え諭さないことの方が良い。

ヒント


馳騁(ちてい)

馬にまたがって走りまわること。

不言(ふげん)

余計なことを言わないこと。
鳴く鳥は撃たれるから言うなといった意味合いは薄い。良かれと思って教えたり、お説教するなどのお節介、自分を良く見せるために粉飾したり、気に入られるためにおべっかを使ったりといった無駄口を否定している。

対立する言葉に多言がある。また、無言は一度も出てこない。


至柔(シジュウ)

柔らかいもの。
柔らかいまでに至ったもの。

至堅(シケン)

堅いもの。
堅さで頂点にまで至ったもの。


(キ|まれ)

少ない。わずか。
専門用語

ルビ無版下し文(コピペ用)

天下の至柔は、天下の至堅を馳騁す。無有るは間無きに入る。
吾是を以て無為の益有るを知る。
不言の教え、無為の益、天下之に及ぶもの希なり。