第三十五章 道の言に出だすは、淡乎として其れ味わい無し。

原文

執大象、天下往、往而不害、安平大。
樂與餌、過客止。
道之出言、淡乎其無味。
視之不足見、聽之不足聞、用之不可既。

訓み下し文

大象(たいしょう)()りて、天下(てんか)()けば、()きても(がい)あらず。(あん)(へい)(たい)なり。
(がく)()とは過客(かきゃく)(とど)まる。
(みち)(げん)()だすは、淡乎(たんこ)として()(あじ)わい()し。
(これ)()るも()るに()らず、これを()くも()くに()らず。これを(もち)うるも(つく)()からず。

解釈

世界を飛び回るとき、大きな視点を持っていれば、そうそう危険はないだろう。
音楽や見世物、ご馳走を前にすると通り過ぎようとしている旅人すら足を止めてしまう。

道をあえて言葉にするとしたならば、びっくりするほど淡白で味気ない。
見ても見た気にならず、聞いても聞き足りない。しかし、役に立つことに際限はない。

備考

刺激への対応。

そもそも、第四十七章では「外に出ないで知る」とあるんだから、出る必要もないんだが。どうしても出なければならない人への心構えだろうか。

刺激的な誘惑は道とは対極にある。行くあてのある旅人すら滞在してまう。しかし、はじめから覚悟があれば誘惑をかわせる。

執大象
大きな象を引き連れて旅すれば安心…ではあるまい。しかし、そう読まれることを考えて書いてるだろう。ここをどう解釈するかで序盤の展開は変わってきそうだ。
第四十一章に「大象無形」とある。

安平大
安心・平坦・太平くらいか。

淡乎其無味
第六十三章では、道を行く聖人は味気ない毎日を過ごすから偉大な成果を成し遂げると言っている。

視之不足見
第十四章には「視之不見、名曰夷。」とあるが、この章との関連性は薄い。

聽之不足聞
第十四章には「聽之不聞、名曰希。」とあるが、この章との関連性は薄い。

用之不可既
第六章には「用之不勤」とある。第三十四章では「大道氾兮」とあるので、あふれてくるのだろう。道の教えは何にでも応用できるし、いくら使っても減らないのだから、誘惑に負けそうになったら何度でも反芻すればいいといったところか。

ヒント


大象(たいしょう)

大きな形。

淡乎(たんこ)

びっくりするほどあっさりしている。

過客(かきゃく)

通りすがりの旅人。


(き)

すでに。
尽きる。

(じ)

食事。

熟語(5種/5回)

天下 無味 大象 淡乎 過客

ルビ無版下し文(コピペ用)

大象を執りて、天下を往けば、往きても害あらず。安、平、大なり。
楽と餌とは過客も止まる。
道の言に出だすは、淡乎として其れ味わい無し。
之を視るも見るに足らず、これを聴くも聞くに足らず。これを用うるも既す可からず。